A.D.1世紀のギリシアの医師ディオスコリデスは、イチジクから酒を作っていたと記しています。
しかし、古代ギリシアの人々、特に貧しい人々が、どの程度イチジクのことを知っていたのかはよくわからないそうです。
彼らはイチジクを生や、干してから焼いて食べていたそうです。
また、第二次世界大戦中、砂糖が手に入らなくなったイタリア中部の人々は、何とか甘いものをみつけようとして、干したイチジクで甘味をつけていたとのこと。
ローマの入々はイチジクを大切にし、ローマの中央にあった大広場に何世紀にもわたって、Ficusruminalis(rumen=乳房の意から)を植えていました。
これはB.C.753年にローマを建設し、その最初の王となったロムルスと双子の兄弟り一ムスが乳児のときに捨てられ、オオカミの乳をこの木陰で飲んで育ったといういい伝えからきたものです。
予言者はこの木の枯れるのを悪い出来事の前ぶれと予言したので、木が倒れそうになるとすぐに新しい木に植えかえ続けました。
聖書にでてくるエジプトイチジク(Sycamor)は北アメリカに分布し、大きく枝を広げ、小さな甘い実をたくさんつけます。
古代エジプトでは、この木は腐敗しないとみなされ、古代エジプト王の棺はこの木で作られていました。
"カリカ・イチジク(FicusCQTZCQ)"は、食べられるイチジクの中で最も実が大きく、その分布域が広いことでも重要な果物です。
地中海からペルシアを経てカナリァ諸島に至る幅広い分布域には、古代の文明の発達した地方がすっぽりとおさまっています。
この学名は、小アジァ南西部にあった古代カリア(Caria、トルコのエフェソスからハリカルナッソスにかけた地域)にちなんでつけられたもので、果実は最も甘いとされています。
ギリシア人はイチジクの木をSykeaと呼び詩人ホーマーの大叙事詩『オデュッセイア』にはSykeという省略された形ででています。
実をsykonと呼んでいたので、それから木の名前となったものなのでしょう。
バンヤンノキ(インド原産)、またはベンガルボダイジュと呼ばれる不思議な木は、ときには1本の木が一つの森林となるほどに大きく広がります。
これは、パゴダイチジクの一種で、神聖な木とされ、神社のまわりに植えられています。
枝から気根が地面に向かって下がり、そこから新しい幹がでて枝をはる。
これをくり返し、一つの木で小さな森を作るといった生長をとげます。
マケドニアの王、アレクサンダー大王の軍勢が、この木の陰で休息できたという話もあるそうです。
時代が下ってからは商人がこの木の下に集まり、取り引きをする習慣となったので、この木は商人階級を表わすbanyanの名をとって、バンヤンノキといわれるようになりました。
イチジクは珍しく、また古い植物なので、神話やいろいろな伝説の中に現われても不思議ではありません。
粘着性のある樹脂状の乳液を分泌しますが、毒性はなく、動物に有害なものは含まれていません。
ただ着生イチジクの根が、近くにある植物を包み込み、巻きつけて枯らせてしまうことがあるので、人々に何か有害なのであるかのような疑いを抱かせたのかも・・・・・?
インドに分布しているイチジク(Ficusreligiosa)が、こういう着生イチジクの一種です。
B.C.560年に釈迦は、この木の根元にすわっているときに、菩提(=さとり)をひらき、仏陀と呼ばれるようになりました。
インドでは、それ以来この木をテンジクボダイジュ(さとりの木)と呼んでいます。
イチジク類(クワ科)
イチジク類には900種ほどが属しています。
多いですよね~。
その数はほかの植物に比べてそう多くはないが、形と習性が個々別々であるという点では類をみません。
現在のイチジクは寒さに非常に強く、地理的にはオリーブと同じか、それより広範囲に分布しています。
このほか、すべての大陸の熱帯、亜熱帯に分布し、インドからマレーシアにかけての地域には特に多いです。
グリーンランドとモラビアで、化石が発見されています。
そのため祖先は、氷河時代以前にさかのぼるのではないかといわれています。