たとえば、この30年間のさまざまな時期に、一貫生産の鉄鋼会社が58社、モーターバイクが50社、自動車が12社、小型計算機メーカーが42社存在しました。


1980年代半ばに入ると、パーソナル・コンピューター製造業者65社、ファクシミリ機械メーカー13社、ロボット製造業者250がいます。


この渦を見下ろして、時折援助をし指導するのは頂上にいる通産官僚ですが、中心にいて結論を出すのは常に企業家たちでした。


資本家のいない資本主義のシステムがヨーロッパのほとんどで失敗しているのは、成長の基本的な性質を誤解しているからです。


膨大な経済データの集成を調べながら、エコノミストたちは富にいたる道を、多数の労働者の漸増的な生産性向上、プラントや機械のゆるやかな備蓄・・・


そして教育、訓練、健康などの向上による〈人的資本〉の絶えざる改善によって達成されるなだらかな登り坂だと見ています。


・・・しかし事実は、こうした成長の根源といわれるものも、新しいアイディアあるいはテクノロジーにもとづいて新しい企業を興す企業家の役割にくらべると小さいものです。


彼らの利得は福祉国家をまかない、しばしば成長の第一の根源にあげられる人的資本に対する長期の投資を可能にする富を生み出すのです。

一方では、この歳入は、基幹施設に対する生産的な投資をまかない、また一方で、国内の労働者と事業に対する限界税負担率を下げました。


やがて1980年代初めの景気後退の間、日本は現実の需要に賢明な対応をして日本の住宅建設業の改善に取りかかることができました。


一方アメリカは、世界で最も住宅に恵まれた国になってから既に久しく、60パーセントの世帯には持家があります。


多数の単身者が節税対策としてあるいはインフレーションによる損失防止措置として住宅を所有し、多数の高年者が広い住宅やアパートに1人で住んでいました。


日本の供給側の基盤の内で、企業家たちは企業家の歴史上最も野心的な投資計画を実行。


資本支出を年30パーセント増加させ、年間100万近い大量の新会社を生み出し、前例のないペースでベンチャー・ビジネスを定着し拡大させました。


石橋体制は1960年代初め池田勇人によるく所得倍増計画〉に引継がれました。


池田は1960年に政権の座につき、供給側にたった政策を引続き推進しています。


・・・その結果、国内経済は着実に急成長し、各企業や業界は低コストの生産者として世界的な場に望む前に国内で激しい競争状態の経験を積み、政府は減税を行なって歳入と貯蓄を増大しました。


各分野に多くのライバルがいて、通常の倒産率がアメリカを大きく上回るというこの国内の激しい競争のるつぼから、日本の偉大な企業が出現したのです。

利子課税を見合わせることによって、日本政府はその課税基盤と長期の歳入を拡大したのです。


しかし日本の財政政策は借入の種類によってはアメリカの政策よりはるかに厳しいものでした。


日本では、企業が日本銀行の暗黙の保証がつけられて比較的低いコストで長期借入を認められる一方で、住宅購入者は担保抵当権を設定され、借入も容易ではありません。


アメリカ政府は貯蓄を産業界から住宅業界に流しこむよう巧妙に設計された国家機関をいろいろ創り出しています。


これにたいして、日本政府は家庭から産業に貯蓄を流しこむ同様な国家機関を作り出していました。


アメリカでは、住宅建設への投資に重点がおかれていましたが、建設業は地方的色彩が強く、そのうえ技術革新がおくれ、それぞれの地域の建築規定にがんじがらめに縛られていました。


ほとんど見せかけの利子報酬の控除(実際にはインフレーションで膨張した元本を支払っている)、実際には年とともに値打ちの上がる建築物に対する減価償却・・・


そして資本利得の短期の借りつなぎの免税などによって、住宅建設はアメリカの主要な節税対策になりました。


これによって税負担は他に肩代りさせられ、生産的な事業は高い限界税負担率(それと高い金利)を求められることになりました。


それとは対照的に、日本における石橋の政策は、政府の歳入に最高の見返りをもたらす、最も生産的で革新的な産業に対する資本に的を絞っています。

日本では利子を、消費を後回しにして産業の発展に融資する極めて大事な支払いだと見ていました。


利子を免税にすることで、日本の産業界の金利水準は最も低いものとなり、国は利子で失われたものよりはるかに多い税を所得と利潤から確実に取立てることになるからです。


石橋時代の通産省から生まれたこの政策は、消費税免税や日立、松下、ホンダ、ソニーなどの主要な日本企業の全世界的な発展を助長する各種の特別産業振興法よりもはるかに有効でした。


膨大な日本の貯蓄率とそれからもたらされる低い利子負担は、様々な規模の、文字どおり数百万の日本のビジネスを発展させました。


それと同時に日本政府は景気後退の非常時に、産業界最大の赤字を出しながら〈国債の圧迫〉という財政危機をもたらさずにすんだのです。


さらに、この利子政策は日本産業の発展に拍車をかけました。


税が政府にとっての価格であるばかりでなく仕事と企業のコストでもあるように、利子は貯蓄に対する報酬であるばかりでなく事業のコストでもあります。


貯蓄を奨励し利率を下げることによって、日本はさらに民間部門において企業がコストを下げ、値下げをし、市場占有率と経験の蓄積を獲得することを可能にしました。

設立は1899年と古いです。


もとは精米業者だけの団体で、国内外のコメ産業に関する情報収集、調査研究、関係機関の連絡調整、コメ品質の標準化などが仕事でした。


1984年から、輸出業者やブローカー、加工業者、倉庫業者、シッピング業者などが準会員として加入できるようになり、以来、コメ産業全体の利益を代弁するための政治活動が重要な任務となったのです。


正会員は現在約30社で、小規模の精米会社を除き大手はすべて加入しています。


本部はヴァージニア州アーリントン。


政府補助金はもらわず、活動資金は会費などで独自調達しており、ロビイストとして隠然たる力をもっています。


生産者個人は会員にはなれませんが、生産者の意見はコメ組合を通し、あるいは取り引きしている精米会社を通して、間接的に反映されます。


RC(コメ協議会。設立は1959年)は、コメ市場の開拓やコメ商品の開発などを目的とする非営利団体です。


一部、政府補助金を受けています。


RMAがマーケティングと政治活動を受け持ち、RCは、コメ消費の拡大のためのさまざまな活動をしています。



小売価格は地域によっても店によっても違いますが、日米や日欧の各都市での格差はどのくらいあるのか、みておきましょう。


1992年11月に、経済企画庁と農林水産省がそれぞれ世界6都市で行った調査によると・・・


東京の3814円(10キロ、標準価格米)に対し、ニューヨークは、経済企画庁調査が1935円(価格差は東京を100とすると51)、農水省調査が1551円(同41)とざっと2対1といったところでした。


また、東京とロンドン、ハンブルクとの差はニューヨークより少し小さいという結果でした。


次に、日本のコメ問題をめぐって何かと話題の多かった「RMA」と「RC」について、簡単にその横顔をみておきます。


RMA(精米業者協会。日本のコメ市場開放を、アメリカ通商法301条に基づいて実現するようUSTR(アメリカ通商代表部)に求めた、コメ問題の火付け役としてあまりにも有名(逆にそれ以前はあまり知られていなかった)です。



明治初期、日本のほかに、アメリカが米ドル銀貨を香港通貨とすべくさかんに働きかけていました。


アメリカの中国市場への物流センター設立の野望は既にいろんなかたちで現われていましたが、これをチェックしようとしていたのがイギリスの態度でした。


とくに香港通貨の問題では、米ドルとメキシコドルとは併行しかねます。


むしろ日本銀の方が適当であろうというのが、イギリスの基本的考え方でした。


しかし本国政府でわが貿易銀を香港通貨とするという最終的結論を出すには、若干時間がかかるわけで、その間に貿易銀はさかんに市場に流通しはじめていました。


事実、明治12年になると、香港に流通する銀貨の大半が日本の貿易銀という、政府にとってはまことに喜ばしい状態になってきたのです。


・・・ところで、貿易銀を遠く海峡植民地からインドまで流通させることが最初からの計画でした。


いまや香港に対して打った手が一応期待どおり動いているとすれば、つぎの目標はシンガポールでなければなりません。


・・・そうと決った以上、行動は早い方がよいでしょう。


外務省は早くも明治11年3月、安藤領事に対し、一度シンガポールへ出張して同地の模様を視察し、これを報告すべしという電令を発しています。


当時シンガポールにはまだ日本領事館は設立されていなかったのです。


シンガポールと日本の交通は追々さかんになる状況にありました。


まして貿易銀の問題がもち上がってくると、どうしても領事館の設立が必要になってきます。


シンガポール視察からえた安藤領事の結論は、シンガポール領事館の設立でした。

最近、精米業者がジャポニカ米を中心にいわゆるブランド米(プレミアム・ライス=高級米)の出荷に力を入れる傾向が強くなってきました。


これは主として日本人や日系人のニーズを当て込むものですが、このところ年間のコメ消費量が10キロ近くまで伸びてきたアメリカ人(日本人は約70キロ)の中にも、家庭での手巻き寿司用に粘り気のあるジャポニカのブランド米を買い求める人も出てきているのです。


アメリカでもブランド米指向が徐々に強まるでしょう。


消費の内訳は、生産量の半分前後が輸出、残りが国内消費されます。


そのうち、6割程度が料理での直接消費で、ほかはビール醸造用、加工食品用、種子用などとなっています。


コメの価格はどう形成されていくのでしょうか。


精米会社が1cWt(袋)1145キロのモミを例えば6ドルとか8ドルで買うとします。


それが精米工場から出荷されるとき、商品(白米)は3~4倍の販売価格になるのです。


これが卸業者から小売業者に渡るとき、運賃などの実経費に加え、ざっと20%のマージンが乗り、小売店の売値がそれに再び20%程度のマージンを乗せた価格になる・・・


これが一般的な線のようです。



次に流通と消費をみてみましょう。


農家が収穫したコメは、いったん農家のビン(貯蔵塔)や倉庫業者の倉庫に入れられたあと、モミで必要な時期に精米工場へ搬入されます。


精米工場は2系統あり、1つは農家が出資し組合員になっている「コメ組合」の工場、他の1つは、精米会社の工場。


精米会社へは、売買契約をしている農家のコメが搬入されます。


コメ組合(精米工場)も精米会社も、アメリカでは精米から販売、輸出までを手掛ける、いわば総合商社です。


日本と違って、流通の要となっているのです。


双方あわせて、アメリカ国内には約40の精米業者があり、カリフォルニアと南部のコメ生産地域内に巨大な工場を集中立地して、国内生産の全量、モミ500万~700万トンを精米(組合系が約半分を処理)しています。


日本では全国津々浦々の約3万にのぼる米穀店が全量(同1100万~1200万トン)の半分を店頭精米しており、双方の流通事情は対照的です。


精米されたコメは、多くは白米、ほかに玄米、パーボイルド・ライス(蒸し米)、エンリッチド・ライス(強化米)として、家庭用、工業用に、あるいは外国向けに出荷されます。



・アメリカのコメ農家数は約1万1400戸で、全米の農家224万1000戸のわずか0・5%。


日本の374万戸の農家のほとんどがコメを作っているのと比べると、特異性が際立ちます。


また、アメリカのコメの生産額は12億5000万ドルで、トウモロコシの17分の1しかなく、コメ農家もコメも、農業の中では極めてマイナーな存在になっています。


これも重要な相違点でしょう。


・1ヘクタールあたりの単収は、栽培面積が増えるにつれて上がり、栽培面積40ヘクタール(100エーカー)以下の場合と、400ヘクタール(1000エーカー)以上の場合を比べると、400ヘクタール以上の方が15%以上多い。


これは規模の利益によるものとみられますが、経営的には240ヘクタール(600エーカー)あたりが規模の利益が1番大きいともいわれています。



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