明治初期、日本のほかに、アメリカが米ドル銀貨を香港通貨とすべくさかんに働きかけていました。
アメリカの中国市場への物流センター設立の野望は既にいろんなかたちで現われていましたが、これをチェックしようとしていたのがイギリスの態度でした。
とくに香港通貨の問題では、米ドルとメキシコドルとは併行しかねます。
むしろ日本銀の方が適当であろうというのが、イギリスの基本的考え方でした。
しかし本国政府でわが貿易銀を香港通貨とするという最終的結論を出すには、若干時間がかかるわけで、その間に貿易銀はさかんに市場に流通しはじめていました。
事実、明治12年になると、香港に流通する銀貨の大半が日本の貿易銀という、政府にとってはまことに喜ばしい状態になってきたのです。
・・・ところで、貿易銀を遠く海峡植民地からインドまで流通させることが最初からの計画でした。
いまや香港に対して打った手が一応期待どおり動いているとすれば、つぎの目標はシンガポールでなければなりません。
・・・そうと決った以上、行動は早い方がよいでしょう。
外務省は早くも明治11年3月、安藤領事に対し、一度シンガポールへ出張して同地の模様を視察し、これを報告すべしという電令を発しています。
当時シンガポールにはまだ日本領事館は設立されていなかったのです。
シンガポールと日本の交通は追々さかんになる状況にありました。
まして貿易銀の問題がもち上がってくると、どうしても領事館の設立が必要になってきます。
シンガポール視察からえた安藤領事の結論は、シンガポール領事館の設立でした。